-格闘技と武術ってどう違うの?-

ざっくり言うと総合・空手(寸止め・フルコンタクト)・ボクシング・柔道などは体力や運動神経が重視されるスポーツ・格闘技であり、頂点を極めるためには「若さ」が必要条件になってくるでしょう。

一方、沖縄空手・合気道は(体力や運動神経というよりも)伝統的技術体系である武術で、物理・生理・心理をうまく使い力はそれほど使いません。そのため年をとっても向上が図れる面があります。

一般的に言って格闘技はガチなぶつかり合いであるのに対して、武術は伝統に沿った高度なトリックを使いガチになる前に仕留める技と言えます。別な言い方をすれば、相手は「あれれっ」と訳もわからないままに制されてしまうのです(もちろん当人次第では単なる剛の力にも負けるであろうほど、武術修行者は未熟な者たちも多いのも事実でしょう)。

過去の名だたる武術家は武田惣角にしても植芝盛平にしても当時としても体は小さい方です。さらに今現在の空手家の最高峰はおそらく宇城憲治先生がその一人であると僕は考えますが、彼も体は決して大きくありませんし年齢も68歳です。また僕が知る限りの最高の武術家はブルース・リーですが、彼も体は小さいですね。

これらのことは武術が決してガチの体力勝負でないことが推察できます。武術は体力差を凌ぎうる技術であるわけです。また武術はその技術体系が武器とつながってくるところもいわゆる格闘技と異なるところです。

素手を前提とした戦いであれば、体が大きいあるいは充実している方が強いのは当然ですし、その上戦う技術を知っていて、さらに経験値(試合や喧嘩など)があればそれら3つの要素に比例して強いのが普通です。

もう一つ、格闘技と武術の特徴について特筆すべきなのは格闘技は才能や頑丈な体躯があれば短期間で強くなることが可能であるのに対し、武術は時間がかかるという点です。

時間をかけて骨格そのものを「正しい姿勢」(この言葉はアメリカ在住の日本人沖縄空手家から『(上達するために)一番大切なものは何ですか』と聞いたとき返ってきた答えです)に矯正していくものとも言えるかもしれません。

格闘技は基本若いときにやるべきスポーツであり、武術は一生かかって精進すべきものなのでしょう。

-生きるって何?-

いわゆる因縁なのかあるいは単なる偶然なのかよくわからないのですが、人は与えられた環境つまりは時代・場所(国)など定められた条件の中でその一生を送ります。これを読んでいるあなたは日本語がわかるのでたいてい日本人ですね。

 

日本は高い技術力を世界に誇る経済大国であり、世界的にみればまだまだ豊かです。先進国とみなされるようになったのが、経済開発協力機構(OECD)に加盟した1964年東京オリンピックの年あたりでしょうか。

 

1955年からの高度経済成長期から1980年代後半からのバブル景気を経て、1991年からはバブル経済が崩壊します。

 

この間に求職した人たちは就職についてはかなり恵まれた年代と言っていいでしょう。夜間の大学を出た学生ですら一部上場の企業にも入れた時代です。

 

その後2001年までは「失われた20年」と呼ばれる経済低迷期に入り、いわゆるリストラが横行するようになりました。

 

2017年はバブルの終焉の1991年から数えると26年経っていますが、この6年間も好景気とはいいづらく、いずれ「失われた30年」と呼ばれるのではないかとの話も出ています。

 

新卒採用の文化が根強い日本では、1993年から2005年までの「就職氷河期」に多くの学生がフリーターや派遣社員に余儀なくされました。

30代後半から40代前半の皆さんは努力うんぬんではない時代という不運な状況をもろに受けた年代でしょう。

 

一方これらはこの50数年の間日本に生まれた場合の話であって、どの国で生まれるのかという問題は考えていません。時代もそうですが、このことこそ一人一人の人生に大きく関わることになるに違いありません。

 

どんなに景気が悪いとはいえ、日本に生まれれば普通は三度三度のご飯に困るという人たちはいなくはないでしょうが多くもないはずです。一方、北朝鮮の農民の子として生まれたらどうでしょう?その苦労は想像に難くありません。

上に述べたように時代・国籍などの状況の違いによってその苦労はまちまちでしょう。が、カタチは違えど誰もが苦労して生きています。

 

もちろん楽しいこともたくさんありましょう。それでもそれは特に背負うものがまだあまりなく、いわゆる人生の「酸いも甘いも嚙み分ける」ことがまだ十分にわからない若いときであることが多く、社会人になり家庭を持てば気が休まるときがないくらい大変な人たちも決して少なくないはずです。

 

仕事のこと、年老いた両親のこと、妻や子どもたちのこと、親戚のことと心にかけることは尽きないでしょうからね。


まぁ逆に言えば、人生経験を積み苦労を重ねた中高年の人たちこそ、たまに出会う美しいもの・芸術感動できるとも言えます(子どもにはふつう芸術は理解できないでしょうから)。

 

僕はこう思います。生きることはどういう環境であれ、おそらく自分自身の「魂(死後存在すると考えられているもの)」の向上と、他人や社会あるいは周りの人たちとどう関わりどうよい影響を与えるかではないかと。

 

実際社会にはどこであろうがいろんな悪い人がいますし、人は完ぺきではないですから、綺麗ごとだけではうまくいかないことも当然あります。その場その場においてはよくないこともしてしまうのが人間です。


親鸞聖人が「悪人こそ救われる」と説きましたが、すべての人は「悪人」であるという認識がその言葉の前提にあるようです。

 

時にはをついたり、他人を非難あるいは攻撃したり回り道をすることもあるものです。それでも自分自身がこの世を去るときに、『満足できる一生だった』と自分自身が納得でき、たった一人にでも感謝されるならそれで十分。そう思うのです。

日本人って豊かなの?

 

一部の大企業を除いて『景気、良くないね』とまだまだ聞きます。また、その影響か最近の若者はあまりお金のかかることをしなくなったようです。「車」「海外旅行」「習い事」「外食」など消費意欲が少ないということです。

僕が大学を出て就職したのはバブル経済真っただ中でした。入社数年でボーナスが100万を超えていたこともあるくらいでしたし、そのためか今思えばいろいろと身の程をわきまえない贅沢をしました。


しかしやはりあの頃が異常だったんです。今の若者の金銭感覚がまとも。彼ら若い人たちはバブル経済崩壊後の1991年前後、つまり経済成長率(GDP-国内総生産-)もガクンと落ちた頃に生まれているため、好景気で浮かれた時代の日本を知らず無意識に倹約するようになったのかもしれません。

同時に会社で出世することだけが人生ではないと気づいたのではないでしょうか。

僕は「豊かさ」について考えるとき、経済的にだけではなく精神的な自由度でみる傾向の強いタイプです。タイ農民のゆったりとした生活(特に農閑期)やヨーロッパ人の休暇の取り方などに接してきたからかもしれません。

また、僕はライフワークとして空手があるので、仕事は一生懸命にやりますが仕事だけではなくその稽古時間の確保、つまりバランスが必要な人なのです。

前の会社を辞めた1つの理由もそこにあり、今は充分に稽古の時間がとれる仕事なのでバランスがとれた状態で働けていて運がいいです。

今は大手企業と言えどもどうなるかわからない時代。また日本はまだまだ「企業戦士」たることを要求する会社が多いように感じます。

人は仕事だけではなく、家庭のことや趣味を持ってその人なりの調和を保ちながら働けるのが理想だと思いますし、そのバランスが崩れるとストレスが溜まり場合によっては鬱病になるのでしょう。

会社からすれば競争に生き残るために寝る間も惜しんで働く人材が必要でしょうが、会社のマネージメントは5%程度のスタッフで十分ではないでしょうか。

むしろその数が多すぎれば「船頭多くして船が出ず」状態で会社全体としてうまく動きづらいはずです。

そしてまたその位の割合で仕事が好きな人間は会社に必ずいるものです。いわゆる自らワーカホリックになりたがる人達のことですね。

戦後急激に日本人はその真面目さで世界に名だたる経済大国にのし上げりました。しかしこれだけ物質的に豊かになってしまうと、もうこれ以上企業の論理だけでさらに高性能な物作りを求め続けるのは無理な面も出てきます。

そろそろ「企業戦士」の名を返上し、余裕をもって生きること人たちが出てきていいのではないでしょうか。

ちなみに世界およそ200カ国のうち仮に年収300万円であってもその稼ぎはトップグループに入ります。物価が国によって異なるので単純には比べられませんが、そうあくせくしなくとも普通に暮らせば夫婦共働きが一般的なこの時代に問題はないはずです。

その意味で今の若者の生き方は「豊か」なのかもしれません。

時代と言うものの影響も当然あるのですが、自分と社会との関わり、そして自分自身をより知ることによって気持ちの豊かさを選択できる時代になりつつあるのかもしれません。

 

-学校の勉強って役立つの?(1)-

子どもたちが学校で主要教科として勉強する数学(算数)・英語とかって、『大人になったら使わないよね』って話はよく聞きます。実際のところどうなんでしょうか。僕自身の経験から考えてみます。

まず、何と言っても皆が苦労するのは数学と思われます。長く数学に関わってきている僕の考えでは、数学とは答えを出すには何通りもの考え方がありますが、正しい推論で進めていけば必ずたどり着く事実です。具体的には数や図形についての本当のことの理解あるいは探求です。

日本が先進国としてここまでのし上がった原因が科学技術力でありそれは数学によって支えられているのです。自動車・電化製品などの工業製品だけではなく経営にも応用されているのです。

ただし多少の向き・不向きはあるかもしれません。僕は20年以上多くの子どもたちと数学を通して接してきていますが、そこで数学の得意な生徒と苦手な生徒の違いとでもいうべき傾向がある時ことに気づきました。

必ずしも頭がいいとか悪いとかに関係なく、自分で物事を試行錯誤考えてみることの出来る子どもとそれが出来ない子どもという性格とでも言うべき違いです。

そしてそれはひょっとしたら小さな頃の遊びの習慣などからくるのではないかと感じます。例えばレゴブロックのような何かを作り上げるような遊びが脳の発達ひいては性格・好みの形成に影響するのではないかということです。

僕自身も小さな頃にレゴで遊びました。断言は出来ないかもしれませんが、それが数学が好き(あるいは得意)になったことにつながる気がします。

大人になって数学そのものが出てくるのはそうないかもしれませんが、事柄の本質を見抜きその処理を論理的にみて対処していく思考習慣となってあらゆる場面で無意識にではありますが役立てられているのではないでしょうか。

まぁ現実問題として数学の学力がなければ理系の大学に入れませんので先端技術の開発などの職に就くのは難しいことは間違いないですね。

日本人って何?

 

人は外国に出て初めて日本人であることを意識します。自分の中の日本的なものって何だろうと考えるんです。

でも東京は外国人がたくさん入ってきているしこれからもそうありそうですから、状況は変わっていくのかもしれませんね。

僕自身は仕事や旅行あるいは居住などで何度も海外に出たためもあってか、若いうちから日本人としての「自分探し」を意識させられてきました。

一つには武道、具体的には空手が自分の中の日本との思いに早いうちからたどり着きました。もっとも僕が高校時代から習った空手は当時劇画などのために「喧嘩空手」として人気が出たましたが、今にして思えばあれは少なくとも日本の伝統武術ではないかもしれないですね。

そこではいくつかの大会に出場し、そこの全日本のトップ選手らとも何人かと戦いもしましたが黒帯を取る前に総合格闘技に移り、最終的には沖縄空手に落ち着きました。

 沖縄空手は剣(日本刀)に通じる高度な芸術でありますし、合気道とも重なる技術があります。僕はこれこそが日本武術だと感じるわけです。

ところで今だに外国人からすれば、日本と言えばサムライというイ メージがあるようです。が、現代日本は武士道とかサムライとかとはかけ離れたアメリカに追従する資本主義社会です。

かつてルーズベネディクトはその著書「菊と刀」で、欧米文化を良心に基づく「罪の文化」に対して日本は「恥の文化」なのだ、としましたが今は随分変わりました。

第二次世界大戦での日本統治下にあるジャワ島での出来事を描いた映画「戦場のメリークリスマス」はその辺りがうまく描けていますが、現代日本は企業の論理に振り回されざるをえない金・利益優先のアメリカ的な価値観にどっぷり浸ってしまっています。

江戸時代位までは士農工商の身分があり日本人のほとんどが農民で武士は1割程度でした。それでも武士は教養が高く武道の訓練にも余念がなかったはずでその規範等が一つの文化になったことは容易に想像がつきます。

今は日本人のほとんどが利益を追求する会社員や製造業に携わっているため日本人全体の価値観がその仕事に影響されていくのは当然とも言えます。

また人の感じ方・考え方に影響を与えるものに宗教があり、世界的にはキリスト教・イスラム教・仏教が主流です。国ごとの文化・価値観の違いもこれらの宗教の思想がその根底にあることが通常です。

アメリカやらタイは教会に定期的に出向いたり、早朝お坊さんに托鉢をしたりあるいは司祭・僧侶へ相談事をしに行ったりと生活と結びつく宗教を僕自身何度も見てきました。

一方日本は神社・寺はあるものの普段はあまり関わらずに生活してますよね。実際多くの日本人は無宗教と感じるようですし、そうなると職業(職業病と言う言い方もしますね)あるいはマスコミやら芸能人などに影響されている部分が大きいでしょう。

日本人はややもすると、(利益)とか時代に流されがちな環境に生きているのかもしれません。

結局のところ必要以上に周りに動かされず、自分の頭でしっかり考え、時に自分を見つめ直してみることが日本人としての一人一人のアイディンティティにつながるんでしょうね。

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-日本人の働き方って?-

僕は日本人の感じ方や考え方が「当たり前なんだ」と思わないことがよくあります。勿論それはいいところもあるし、何だろうなぁと思うことも。
今の日本社会では資本主義的な原理に沿った物の見方がされます。そのため普通はその思考に慣れて疑問を持たなくなりがちです。
企業では競争とか利益を出すという論理、または消費者としても物を売るためのあふれる広告・コマーシャルに誘導されて生きてるんですね。
まぁ、だからこそ日本の商品は質が高いっていうことなんで決してこのこと自体がダメだってことではなく、むしろ日本人として誇らしいところとも言えるでしょう。
昔こんな話を聞きました。おそらく有名な話に違いありません。
「東南アジアに日本の農業の専門家がある貧しい村に出向いて、『このような方法で田畑を扱えば、生産量が今の2倍になりより豊かになれますよ』と、さも誇らしげに村民に話したところ反応がない。
そこで村民に聞くと、『わしら、ちゃんと食べれて生活出来とんのになぜ今の2倍働かにゃぁならんのですか』と言われます。その専門家は初めてそこで自分が資本主義の発想に振り回されていたことを知った」というものです。

 

ことわざに『過ぎたるは及ばざるがごとし』というものがありますね。多くの日本人は世界規模でみるなら十分「お金持ち」ですし、新幹線の速さやスマートフォンの機能など十分過ぎて使いこなせないくらいです。
僕が言いたいのは、できるだけ自分の価値観に沿って自由に生きれればいいですねってことです。
年収が高ければ高いほど仕事の量やストレスは増えるのが普通ですから、そのことが一人一人の幸せにつながるとは限らないわけです。
仕事が好きならば人からワーカホリックと揶揄されようと気にする必要はありません(逆に仕事が嫌いだから働かないというのは困りものです!)し、趣味や家庭のことをバランスとりながら仕事をしたい人も当然いるでしょう。
僕の知るベルギーの人たちは年に一度およそ一カ月休みを取っていましたし、残業も普通はあまりしなかったようです。一方、日本ではここまで個人の福祉が重視されていないのが現状でしょう。企業の一員としての義務がより重く強制される面があり、実際のところ有給休暇ですら取れない人がたくさんいるはずです。
会社からすれば同業他社の競争に負ければ倒産ということにもなりかねないので仕方ない面もありますし、現実は一部の大企業が法令順守しているに過ぎず、中小企業などはその余裕がないところも少なくないでしょう。
『就職は会社と結婚するようなもの』とよく言われますが、サラリーマンである限りはその文化にできるだけ従わなくてはならないのかもしれないですね。

 

一年半ほど前、電通の社員が過労死して企業の倫理感が社会問題化しました。このこともあり少しずつ環境は整っていくでしょう。ただ日本は海外と比べて転職が難しいのは事実です。しかし、そうであってもこの女子社員のように死ぬまで追い詰められていたのであれば離れるべきだったはずですが、頑張って頑張って何も見えなくなってしまったのかもしれません。
結局、会社の「規則(暗黙の了解のものも含めて)」の中で出来る範囲で自分の働き方を自分自身の状況・価値観に合わせて選択することが大事だと思います。
それにもう一つ。どんな働き方であれ前向きに努力しながら自分を練っていくことが、会社の利益にもなり自分の居場所があることにもなるわけです。会社で存在価値があればこそ、バランスを取りながら働ける選択肢も生まれるものなんですからね。