-教育について-

昔タイの国際空港だったドンムアン空港でのことです。当時はまだ異文化に理解が甘かったためか、若い女性トイレ清掃をしていてひどく驚いたものです。

 

日本ではいわゆる3K職場(キツイ・汚い・危険)な仕事は若い人、特に女性からは避けられていたように思います。それでも当時のタイでは教育を受けていない彼女らの仕事はこのような仕事や風俗に限られてしまっていたのでしょう。

 

随分前から日本でも建築現場などではたまに女性も見かけられるようになりましたが、さすがにトイレ清掃となると日本では若い人を見たことはありません(いるのかもしれませんが)。

 

その背景を探ってみたことがあります。数年前のデータでは、タイでは農業・漁業などの第一次産業に従事する人が40%程度であるのに対し日本では4%程度と10倍の開きがあります。農作業は肉体労働であり、会社員・公務員のような第三次産業に携わる人にはおそらく必須である教育・コミュ力などは必要ないため、一般的にタイの農家では教育を重視しません

 

僕の好きなタイの作家であるピラ・スダムも子どもの頃、文字を習いたくて寺小屋でこっそり勉強を教わっていたところ、父親に無言で畑に引き戻された経験があるそうです。

 

のちに彼は奨学金を得て外国に留学するのですが、農村には「農民の子は勉強する必要はない」という考え方があったわけです(その理由は「教育を受けてもせいぜい農作業をさぼり、親を馬鹿にするだけだから」ということらしいです)。もちろんさすがに今はかなり変わっては来ているはずですけれども。

 

僕が言いたいことは、それなりの教育を受けていない若者は日本と違って山ほどいるのが発展途上国の現状だということです。よって彼らが都会に出てきたとき、出来る仕事は労働系に限られるわけです。

高校進学率が97%である日本とは環境が大きく違うわけです。かつ日本では勉強が嫌いだから進学しないという例が多いと思われますが、東南アジアでは言うなれば文化の壁あるいは経済力に阻まれ進学できず、冒頭の(若くても)「トイレ掃除」につながるのです。

 

ただ昔のタイとは違って、今はタイは東南アジアではかなり経済発展を遂げ「東南アジアの優等生」と呼ばれるくらいになったことは事実です。それも多分に日本企業の恩恵であることがあるのですが。

 

一方バンコックと東北地方とでは平均年収の差が6倍以上もあったりします(日本ではトップの東京と青森あるいは沖縄の平均年収差はせいぜい2倍)。これもほとんどが農民の子は農民という構造上の問題であり、日本とは事情が異なるということです。

 

また、お隣のミャンマーはいまだに道路・電力事情のインフラ整備などがタイの数十年前の状況である上、第一次産業に60%以上の人たちが従事しています。義務教育は小学校までですし、正確な割合はわかりませんがかなりの子どもたちがその小学校ですら出ていないのが実情です。

 

子どものときに教育が受けられないと大人になったときの就業が限られてしまい、都会では肉体労働・小売業店員・ウエイター、ウエイトレス・安宿の受付などに行き着くのでしょう。彼らの労働環境は僕の知る限りとても悪く、例えば拘束時間が日に12時間以上がザラで給料も驚くほど安かったですね。

 

ところで若さは何を意味するのでしょうか。おそらく日本では顔つき・容姿の精悍さや美しさを意味すると同時に経験・技能不足とみなされるでしょう。

 

仕事の種類によっては専門的な技能よりも、愛想の良さや若さつまり見た目の美しさが優先されるものもあるでしょうが、仕事のうちのいくつかは高度な能力が要求され、その能力には知識と経験が必要です。

しかし、若ければ若いほど知識はともかく経験は未熟なはずです。ここでは若さは能力的未熟さを映るでしょう。

 

また人は必ず老います。若いときはその美形が武器になったとしても、老いたときにその人なりの人間としての常識・分別・知恵が求められ、それらを練ってこなかったならばきっと惨めな結果に陥ることになるのではないでしょうか。例えばその美形を武器に俳優として成功できたとしても、人間としての魅力がなければ年を取ったときには消えてしまうでしょう。

 

やはり心技を磨き、社会に貢献できる一つの分野を培い他人の役に立つ能力あるいは労働をしてこそ全うな生き方なのでしょう。

 

そしてそれが日本では発展途上国と比べれば比較的容易に達成できえるのです。事実、僕の生徒の中で国立の医学部に合格したある生徒も家計は決して楽な家ではなくは母一人子一人の家庭でした。

 

日本では相対的に見て自由があります。教育を受ける自由あるいは捨てる自由。もちろん表現の自由も。

 

アメリカ人の友人が風俗で働く人間は自業自得なんだ、と言っていたのを思い出します。それが先進国であるアメリカや日本での普通の発想なんでしょう。

 

しかし今の僕は少なくともいわゆる発展途上国の彼女らは必ずしもそうとは限らないと考えています。何せ文化や環境が大きく異なる社会ですから一元的に物事を判断するのは危険だということを幸いにして様々な海外経験から知ることができたのです。

 

日本においては、教育を生かすも殺すも自分次第というところに一人一人の人生における選択の結果が見えてくるのは興味深いところですね。