ムンクの「吸血鬼」について

誰でも知っているムンクの「叫び」。人によってはこの名作を嘲笑の対象にすることもある。

 

でも僕は自分の中にある存在自体の不安のようなものを小さな頃から感じさせられてきた人だから、自分だけではないんだという安心・救いみたいな思いでこの絵を眺めることがある。

 

しかし今回はこの「叫び」ではなく「吸血鬼」について書いてみたいと思う。

 

強烈なメッセージを感じる。でも僕はムンクを研究したわけではないから、自分なりの感じ方だ。絵はほぼ同い年か少し年下と思える女が男を抱擁している。そしてその女の周りには異様な黒い影がある。

 

おそらく俳句(ただこれはほぼ関心がない。少なくとも今は。恋とか季節の変わり目とかにはそう思い入れがないからかな)と同じように自分の経験から、さまざまな思いがこの絵から喚起され一人一人の受け止め方は違うのだろう。ただし、少なくともこの絵画からは健全なイメージにはつながらない。

 

ムンクが意図したところはわからないが、僕はこう思う。(ほとんどの)子どもは幼いころ母親に絶対的な信頼を寄せるだろう。青年でも女に無意識にそれを求めることがあるのではないか。ここでも男の様子からはそう感じられ(少し滑稽でもある)、性的な愛を求めているようには全く感じられない。

 

一方、女は母性的な愛で男を受け止めているわけではなく、計算づくで介抱しているのだろう。その女の髪は男の体から出る血のように見えるし、実際この絵の表題は「吸血鬼」。つまり、自分が生きるためにこの男を「犠牲」にすらする思い・計算が無意識的にでもこの女にはあるに違いない。

 

男が下心で女に近付くのは多々あることだが、この絵の男ただ何らかのぬくもり(ひょっとしたら存在の不安からの救いなのかもしれない)を求めている。青年ならありうることだ。つまり、女を「第二の母」と勘違いし、一方的な愛情を求めてしまうのだ。

 

人は皆弱い。しかしそれは誰もがただ一人で乗り越えなばならない運命だ。しかし若いときはそれがわからず、何かに頼ろうとする。実際は相手も人間で(男ほどではなかろうが)女も弱いもので、一方的に頼られるのは迷惑だ。

 

でもそこに計算があれば、受け止めるのだと思う。女にそらなりの下心がなければ、この状況は成り立ちえない。そして男はそれなりの代償をその女に払わされることになる。基本的に世の中はギブアンドテイクなのだ。

 

女からすれば、その下心とは経済的支援(結婚という形態をとることが多いかもしれない)である。特別な技能を持っていない女性が一生自力で暮らしていくのは難しい。まして子どもを産んで育てるとなると間違いなく日本ではかなりの金がかかるため、一人ではさらに厳しい(男と女が子どもがいる家庭を望む場合、それは協力ということになるけれど)。

 

しかしよく考えてみると男と女のつながりなんてこんなものなのかもしれない。問題はその関係を肯定的に見るか否定的に見るかだ。しかも人の気持ちは変わるもの、昨日は肯定的に受け止められても今日は違うかもしれない。

 

二十代の頃、英会話のジオスの教室でクラスの中年男性がつぶやいたことがある。『離婚するには結婚する何倍ものエネルギーが必要なんです』と。

 

この絵にもムンクの持つ否定的な女性への思いが表現されているのではなかろうか。そう思わせるメッセージを僕は強く感じた。